グルメよ、来たれ!
壮大な自然に満ちるおいしい空気をたくさん吸おう!
【解説】ブルックナー「交響曲第6番」
ブルックナーの「変なクセ」と「反復」にこだわったエピソードを含む、こんな解説があります。
天才と気違いは紙一重―などというが、ブルックナーは紙一重を越えてしまった天才だったのでは……。そう思わせる証拠はいろいろあるらしい。中でも傑作なのが蒐集癖(しゅうしゅうへき)と勘定癖(かんじょうへき)だ。蒐集とはいえ、切手とか蝶々なら恰好いいのだが、事もあろうに免状とか証明書の類なのだ。しまいには死の床で医者に頼んで教会に自由に出入りしてよい、という証明書まで書いてもらったという。俗人の免状蒐集なら名誉欲を考えるが、ブルックナーのはそれとは違って一種の強迫観念から来たものであろう。勘定癖の方はもっと傑作だ。木の葉とか路傍(ろぼう)の石にはじまって、女の人の服の真珠とか、家々の窓とか、遂にはドナウ河の砂粒まで数えようとした。分裂症の兆候だ。今のニューヨークなんかに一人淋しく住んでいたとしたら大変だ。魔天楼の窓とか、大通りの車とか、人とか、数えるものはいくらでもある。家に閉じ込めれば、バス・ルームのタイルや壁紙の模様なんかを数えただろう。これらの癖は即、音楽と関係がある。パターンの反復である。(中略)ブルックナーの音楽から、あらゆる反復パターンの原型だけを残し(たら)(中略)まず第一に、ブルックナーではなくなるだろう。反復は、彼の音楽にとってはそれほど重要な構成要素なのである。(中略)。第6といえば、先ず頭に浮ぶのがベートーヴェンの《田園》である。 《田園》には別して反復が多いが、この反復の目的は明晰である。展開の一手法なのだ。
反復のための反復なのではない。ここにベートーヴェンとブルックナーの決定的違いがある。しかし、ブルックナーの第六も牧歌的な曲だ。出典:諸井誠 著 「交響曲名曲名盤100」p106より引用
多くの美しい音楽を残した作曲家たちは、どこか、普通ではないところがあることが多いですね。
ブルックナーも、そのひとりです。
解説にありましたが、強迫観念が強く、音楽においても「反復」にとらわれていた感じですね。
ただ、その「反復」も聴き慣れてくると、心地よかったりします。
それは、鉄道の走る際の「カタンコトン、カタンコトン…カタンコトン、カタンコトン」と、切れ目なく響き続ける反復にも似ています。
そして、それが、なぜだか心もホッとさせるから不思議なのですね。
【各楽章を解説】ブルックナー「交響曲第6番」
ブルックナーの「クセ」の中でももうひとつ、「改訂グセ」があります。
一度、完成した音楽を何度も何度も書き直す「クセ」ですね。
これも一種の強迫観念のあらわれかも知れませんが、ブルックナーを研究するひとたちは本当に大変ですね。
ただ、このブルックナー「交響曲第6番」についてはほとんど改訂がなされていないとのことです。
ブルックナーにしては、そういった意味で珍しい1曲ですね。
ブルックナーにとっての「交響曲第6番」は出来上がりに対して、相当に満足だったのではないでしょうか。
それでは、各楽章について解説したいと思います。
この曲は第1楽章から第4楽章までの4曲で成り立っています。
第1楽章「マエストーソ(威厳をもって、堂々とした)」
まだ夜の支配の強い時間。
しかし、刻一刻(こくいっこく)とまた、しらじらと空が光を帯びて来るイメージをアルパカは感じます。
それから音楽は太陽の光のさんさんと降り注ぐさまを描き始めます。
朝の暗いうちから、額に汗して働く農民たちの姿は、その太陽の光に照らされ、励まされます。
多くの人たちの生きていくための糧(かて)をつくり、育てていることに誇りを感じ、喜ぶ姿が想像できますね。
第2楽章「アダージョ(非常に荘厳に)」
1日の尊(とうと)き労働を終えて、食事の機会が与えられたことの喜びを神に祈り感謝します。
そして、食事の後の夜の中で、家族とともに深くて静かな瞑想的な時が過ぎていきます。
外から聞こえるのは、虫の声と「ほー、ほー。…ほー、ほー。」と鳴くフクロウの声。
自然とともに神に祝福された満足感とともに静かな夜は深まっていきます。
第3楽章「スケルツォ(速くなく)トリオ(ゆっくりと)」
カミナリをともなって、雨が降りますが、その雨が止むと再び、太陽の光とともに人びとを暖かく照らし出しますね。
自然というのは、つねに休むことなく働きつづけ、また、動きつづけますね。
第4楽章「ファイナル(終曲、運動的に、しかし速すぎずに)」
流れる川のような透明感をともなった動きを感じる1曲ですね。
時にはその川幅は細く、また時には広大に、変幻自在にその流れを変えて川は存在しますね。
胸のすくような開放的な最終楽章です。
【名盤3選を解説】ブルックナー「交響曲第6番」
ここで、アルパカの中にある「『第6交響曲』の衝撃」について解説します。
だいたいアルパカが、ある作曲者が好きになるのは『第6交響曲』を聴いた瞬間が多いのです。
つまり、ベートーヴェン、マーラー、そして、今回とりあげたブルックナーの「交響曲第6番」ですね。
それまでは、ブルックナーの音楽について、「地味で退屈」というイメージしかなかったのです。(反省…。)
その「地味な」ブルックナーの交響曲の中でも、特に地味な存在であると言われるブルックナー「交響曲第6番」。
これを初めて聴いた時、たしかにこの中に「壮大な緑が広がっている大地と農民たちの自然への讃歌や感謝、また祈る姿がありありと見えた」ものでした。
たぶんブルックナー自身は、そんなイメージでは「交響曲第6番」を作曲しなかったとは思いますが、少なくともアルパカには、そのように聴こえたのでした。
今回は、そんな大いなる自然讃歌の面を意識しながら、5枚の名盤の解説をしていきたいと思います。
オイゲン・ヨッフム:指揮 シュターツカペレ・ドレスデン
土の臭う感じが出ていて、アルパカが個人的に好きなアルバムです。
アルパカが、ブルックナーを好きになるキッカケになった1枚。
シュターツカペレ・ドレスデンの一見(一聴?)無骨に聴こえる演奏は目を閉じて深く耳をすませば、心地よい美しい田園風景なのですよね。
第1楽章のパンチの効いたダイナミックな田園。
そして、第2楽章に入った際に、聴きとれる敬虔(けいけん)さをともなった農民たちの深い感謝と瞑想的な日々や、また夜のときを追体験できます。
また、第3楽章の堂々として、広大な田園の明るい風景や、第4楽章の躍動する田園への「自然賛歌」がしっかりと聴き取れます。
アルパカとしては、稀有(けう)なる名盤だと感じています。
セルジュ・チェリビダッケ:指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
こちらの演奏はどっしり安定型の演奏です。
ただ、全体の感じとしてはブルックナーを演奏することの喜びが爆発したような感情がオモテに出ている演奏です。
また、「ブルックナー愛!」な、セルジュ・チェリビダッケの相当にこだわりの強い演奏ですね。
これが行き過ぎると逆にアクが強すぎて、受け入れがたいような印象にもなってしまいますので好みの分かれる1枚かもですね。
ただ、超絶的に「美にひたりたい方」には最高のアルバムです。
オットー・クレンペラー:指揮 フィルハーモニア管弦楽団
じっくりと、そしてゆっくりと、ブルックナー 「交響曲第6番」を楽しみたいならこの1枚ですね。
まさしく第1楽章の始まりからして、田園の夜がゆっくり、ゆっくりと明けていくさまが想像できますし、田園の1日の始まりも壮大なイメージです。
ただ、第2楽章は、それほど遅い演奏ではないところはむしろ不思議な感じです。
ただ、全体として淡々としたブルックナー表現ともいえそうで、心底ブルックナーが好きなひとには合っている演奏なのかもしれません。
第3楽章も第4楽章も堂々としていて、好感が持てますよね♬
Apple Musicで “紹介した名盤” が配信中
【解説と名盤、まとめ】ブルックナー「交響曲第6番」
さて、ブルックナー「交響曲第6番」、おすすめ名盤の解説はいかがでしたか?
現代人にとって、心のデトックス(毒抜き)は大事ですね。
そして、「土に触れる」ことは、心のデトックスになると言われています。
「忙しくて、そんな時間ないよ!」というあなた。
ブルックナー「交響曲第6番」を聴いて、土の香りに触れることも一種の心のデトックスにつながるかも…ですよ〜♬
そんなわけで…
『ひとつの曲で、
たくさんな、楽しみが満喫できる。
それが、クラシック音楽の、醍醐味ですよね。』
今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。