最良の友人
クララの死…
自身にも…
晩年のブラームスを覆う「死の予感」と、音楽の理解者クララの死。深い諦観と悲しみの思いから紡がれる惜別の歌…。
今回は、ブラームス:4つの厳粛な歌の解説とおすすめ名盤を紹介です。
【解説】4つの厳粛な歌
ブラームスの最後の歌曲群となるのが、この《四つの厳粛な歌》作品121である。 この曲集は、第4曲が1892年に作られた以外、すべて彼の死の前年にあたる1896年に書かれている。ブラームスは、自分の人生の終焉の近いこと、そして心から敬愛していたクララ・シューマンにも最期の時が迫っていることを感じつつ、これらの作品を生み出したのに違いない。死を直視し、死への憧憬を、そしてまた信仰や愛をテーマとして書かれたこの4曲は、その深く内省的な音楽世界によって、彼の歌曲の集大成と呼ぶにふさわしいものとなっている。
出典:國土潤一 著 「声楽曲名曲名盤100」P62より引用
1896年5月20日、ブラームスにとって最良の音楽の理解者であったクララ・シューマンが亡くなります。同年3月に一度、脳出血で倒れ自由に体を動かすことも言語を発することも困難であったクララを見舞うことを考えたブラームス。しかし、クララが気を使いすぎて治療に専念できないことも思います。
クララの長女マリエに宛てて、クララを見舞いたい旨を伝えますが、マリエからの返信では「来ないで欲しい」との内容でしたので諦めました。
クララの死後、ブラームスは列車を乗り継ぎながら葬儀へと向かいますが乗り継ぎを間違えてしまいます。大幅に到着が遅れてしまい到着した際には、すでに棺のフタは閉められ出棺するところでした。
葬儀の後、ブラームスは友人たちと集まって音楽を演奏しながら過ごします。多くの曲がクララの夫でありブラームスの師であったシューマンの室内楽でした。演奏会の最後に、かばんに入れておいた「4つの厳粛な歌」の楽譜を取り出しブラームス自らがピアノ伴奏をしながら歌います。
しかし、あふれる涙が止まらず、ところどころで止まってしまいながらの演奏であり、居合わせた友人たちには深く印象に残ったようです。
クララを失った後にブラームス自身も急激に体調を崩します。「4つの厳粛の歌」は次々と他界する友の死が作曲動機といわれていますが、クララの死もブラームスにとっての大きな痛手であったのでしょう。クララの死の翌年4月、ブラームスはクララの後を追うように63歳の生涯を終えています。死因は肝臓がんでした。
初演:1896年9月9日 ウィーン にて
歌:アントン・ジスターマン
ピアノ:スケーンラード・ボス
【各楽章を解説】4つの厳粛な歌
「4つの厳粛な歌」は、ドイツレクイエム同様、ドイツ語の聖書から歌が引用されています。
第1曲 ケモノたちに臨むものは人にも臨む
Denn es gehet dem Menschen wie dem Vieh;
ケモノたちに臨むものは人にも臨む、
wie dies stirbt,so stirbt er auch;
ケモノが死すものなのだから、人も死すもの
und haben alle einerlei Odem;
生きとし生けるものは同じく息をする
und der Mensch hat nichts mehr denn das Vieh:
人といってもケモノにまさることはない
denn es ist alles eitel.
なぜなら、全ては空虚なのだから
Es fährt alles an einem Ort;
みな全てはひとつの所へと向かう
es ist alles von Staub gemacht,
みなチリから出て
und wird wieder zu Staub.
みなチリに戻る
Wer weiß,ob der Geist des Menschen
誰が知るというのか 人の魂が
aufwärts fahre,
天へと登り
und der Odem des Viehes unterwärts unter
そして、ケモノの魂が
die Erde fahre?
地に下るかを
Darum sahe ich,daß nichts bessers ist,
私は見た、これに越したことはないと
denn daß der Mensch fröhlich sei in seiner Arbeit,
人は自分の仕事を行うことにおいて幸せであること
denn das ist sein Teil.
これこそ彼の領分であると
Denn wer will ihn dahin bringen,
誰か彼をその地へと連れていき
daß er sehe,was nach ihm geschehen wird?
その後どうなるかを見せることができるだろうか?
コヘレトの言葉 伝道の書3章19〜22節
第2曲 私は振り返り、そして見た
Ich wandte mich und sahe an
私は振り返り、そして見た
Alle,die Unrecht leiden unter der Sonne;
日のもとで行われる全ての責めさいなみを
Und siehe,da waren Tränen derer,
見よ、責めさいなみを受ける者の涙を
Die Unrecht litten und hatten keinen Tröster;
彼らをなぐさめる者はいない
Und die ihnen Unrecht täten,waren zu mächtig,
そして、彼らに非道を行ったものは強すぎ、
Daß sie keinen Tröster haben konnten.
誰も彼らを慰めることはできない
Da lobte ich die Toten,
ゆえに、私は死者を幸いと思う
Die schon gestorben waren
すでに死した者を、
Mehr als die Lebendigen,
生きる者よりも
Die noch das Leben hatten;
これからも生き続ける物よりも
Und der noch nicht ist,ist besser,als alle beide,
しかし、まだ生まれていない者はどちらよりも幸い
Und des Bösen nicht inne wird,
このような不幸なことを見ないのだから
Das unter der Sonne geschieht.
この日のもとで行われる非道を
コヘレトの言葉 伝道の書4章1〜3節
第3曲 おお死よ、あなたを思うことはなんと苦しいことか
O Tod,wie bitter bist du,
おお死よ、あなたを思うことはなんと苦しいことか
Wenn an dich gedenket ein Mensch,
人があなたのことを考えるとき
Der gute Tage und genug hat
人は良い毎日を重ね
Und ohne Sorge lebet;
悩みごとのない暮らしをし
Und dem es wohl geht in allen Dingen
全てのことにおいて平穏無事に
Und noch wohl essen mag!
食べることに不自由していない時に
O Tod,wie bitter bist du.
おお死よ、なんとあなたは苦しいことか
O Tod,wie wohl tust du dem Dürftigen,
おお死よ、あなたは貧しい人には幸多きものか
Der da schwach und alt ist,
弱い者と老いたものは
Der in allen Sorgen steckt,
多くの悩みの中でさいなまれ
Und nichts Bessers zu hoffen,
そして、これ以上を望むことはできない
Noch zu erwarten hat!
期待することができない物には
O Tod,wie wohl tust du!
おお死よ、なんとあなたは貧しい人には幸多きものか
シラ書41章1〜2節
第4曲 たとえ私が人の言葉や天使の言葉を語ろうとしても
Wenn ich mit Menschen und mit Engelszungen redete,
たとえ私が人の言葉や天使の言葉を語ろうとしても
Und hätte der Liebe nicht,
そこに愛がなければ
So wär' ich ein tönend Erz,
わずらわしい鐘や銅鑼と同じ
Oder eine klingende Schelle.
または、けたたましい鈴
Und wenn ich weissagen könnte,
もし、私に預言する力があり、
Und wüßte alle Geheimnisse
あらゆる秘儀と
Und alle Erkenntnis,
知識をもっていたとしても、
Und hätte allen Glauben,also
また山を動かすくらいの
Daß ich Berge versetzte,
強い信仰があっても、
Und hätte der Liebe nicht,
もし愛がなければ、
So wäre ich nichts.
わたしは虚しい存在である
Und wenn ich alle meine Habe den Armen gäbe,
そして、わたしが自分の全財産を人に施しても
Und ließe meinen Leib brennen,
私の体を燃やそうと
Und hätte der Liebe nicht,
もし愛がなければ、
So wäre mir's nichts nütze.
私には虚しいものだ
Wir sehen jetzt durch einen Spiegel
私たちは今 鏡に映して見る
In einem dunkeln Worte;
謎に秘められた言葉で
Dann aber von Angesicht zu Angesichte.
しかし、その時には顔と顔を見合わせる
Jetzt erkenne ich's stückweise,
私の知るところは、ひとかけらにすぎない
Dann aber werd ich's erkennen,
その時には、私が知るようになる
Gleich wie ich erkennet bin.
私たちが知られているのと同じく
Nun aber bleibet Glaube,Hoffnung,Liebe,
永久に残り続けるものは信仰と希望と愛
Diese drei;
この3つである
Aber die Liebe ist die größeste unter ihnen.
そして、この中で愛こそがもっとも気高いもの
コリント人への第1の手紙 13章1〜3、12〜13節
【名盤3選の感想と解説】4つの厳粛な歌
キャスリーン・フェリアー:アルト
ジョン・ニューマーク:ピアノ
アルパカのおすすめ度★★★★★
【名盤の解説】
心の痛手を深く歌い込める美しいアルトが印象的な名盤です。フェリアーの持つ豊かな情緒がそのまま歌に込められて、まるでクララの惜別の想いの歌にも聴こえてきます。とても品のある気高さが伝わってきます。
ワルターとウィーンフィルとの共演でのマーラーの歌曲が素晴らしいことでも有名なフェリアー。4曲目、長調の歌もどことなくさみしげな印象ですが曲の核心をついています。録音状態はあまり良いとはいえませんが、聴き終わった後に優しい余韻の残る名盤です。
フィッシャー・ディースカウ:バリトン
イェルク・デームス:ピアノ
アルパカのおすすめ度★★★★☆
【名盤の解説】
フィッシャーディースカウの伸びのある美しいバリトンが聴ける名盤です。表情を変えていく歌の微細な表現に引き込まれます。「4つの厳粛の歌」の持つ悲しさや空虚感を超えて美しさに昇華されたような印象。聴いていてあまり情感に打ち沈み過ぎないところがこの名盤の魅力です。しかし、逆に「4つの厳粛の歌」の詩情に沈潜したい場合にはフェリアーや後に紹介するゲルネがおすすめです。
「4つの厳粛の歌」は繰り返し聴くには暗く、少し気持ちがついていけない面がありますがフィッシャーディースカウの名盤はじっくりと何度も聴くには合っている名盤です。
マティアス・ゲルネ:バリトン
クリストフ・エッシェンバッハ:ピアノ
アルパカのおすすめ度★★★★☆
【名盤の解説】
ゲルネの声が重厚な中にも透き通るみずみずしさのあるバリトンであり印象的な名盤です。「4つの厳粛の歌」を作曲した頃のブラームスの暗い心境を地の底から切々と歌い上げていくような感覚です。始まりの3曲の持つ深い悲しみや激情を声に品性をまとわせながら響き渡ってきます。
第4曲目は明るく展開する中に安らぎを秘めており記憶に残ります。ピアノのエッシェンバッハも透明度の高い憂いを保って好演の名盤です。
Apple Musicで “紹介した名盤” が配信中
【まとめ】4つの厳粛な歌
ブラームス:4つの厳粛な歌の解説とおすすめ名盤はいかがでしたか?
最良の友人
クララの死…
自身にも…
晩年のブラームスが友人との永遠の別れを経験することで昇華した歌曲「4つの厳粛な歌」。音楽における最良の友、クララの死によってブラームスの悲しみはより深まったことは確かのようです。
深く何かに考えをおよぼす時、悲しい時、さみしい時などによりそってくれるそんな歌曲が「4つの厳粛な歌」です。
そんなわけで…
『ひとつの曲で、
たくさんな、楽しみが満喫できる。
それが、クラシック音楽の、醍醐味ですよね。』
今回は、以上になります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。