
ウィーンの風
空に響きわたる
自由のメロディ
モーツァルトは新天地ウィーンで、フリーランスとして歩み始めますが、手始めに聴衆に向けて3つのピアノ協奏曲を作曲します。ピアノ協奏曲第12番は、ウィーンの聴衆に好まれる明るい旋律を随所にちりばめながら、音楽通をもうならせようと挑んだ名曲です。
亡き恩師ヨハン・クリスティアン・バッハへの追悼が込められた第2楽章の秘密と、幻の終楽章「ロンド K.386」の歴史についても紹介。モダン楽器演奏とともに、当時の響きを再現した古楽演奏からも、名盤の魅力に迫ります。
気品あふれるウィーン時代初期の名曲を、共に楽しんでみませんか。
【ピアノ協奏曲第12番の解説】

作曲経緯の解説
予約演奏会のための(ピアノ)協奏曲が、まだ2つ足りません。出来た協奏曲は、むずかしいのとやさしいのの丁度中間のもので、非常に華やかで、耳に快く響きます。もちろん空虚なものに堕してはいません。あちこちに音楽通だけが満足を覚える箇所もありながら、それでいて、通でない人も、なぜか知らないながらも、きっと満足するようなものです。
柴田治三郎 編訳『モーツァルトへの手紙』より(1782年12/28 父親宛て)
ピアノ協奏曲第12番は、モーツァルトが新天地ウィーンでフリーランスの音楽家として希望を胸に抱いていた1782年ごろの作品です。前年までの雇い主、ザルツブルク大司教のヒエロニュムス・コロレド伯との対立を原因とする独立後、すぐのことでした。
前作から3年ぶり(5年ぶりの説あり)のピアノ協奏曲作曲で、ウィーンの聴衆好みのメロディを随所に散りばめることを忘れません。演奏会での評判も上々で、フリーランスとしてのモーツァルトは大成功を収めました。
ピアノ協奏曲第12番は、音楽をのびのびと自由に発想している印象があり好感が持てます。
解説内の「予約演奏会のための(ピアノ)協奏曲が、まだ2つ足りません」とあるのは、11番と13番のことです。作曲された順番としては12番を作曲した後に、11番と13番の作曲となりますが、3曲とも2〜3か月の間に書きあげました。
ピアノ協奏曲第12番と、11番、13番ともにウィーンでの予約演奏会用に作曲したという意味で、テーマとしてのまとまりがみられます。解説中に「非常に華やかで、耳に快く響きます」とありますが、まさしくモーツァルトの楽曲らしく温かみのある優しいピアノ協奏曲群と言えるでしょう。
(11番から13番の配列は、出版順を基準にケッヘル番号が与えられた結果です。ケッヘル番号が振られた当時は、史料が十分でなかったため暫定的な判断として出版時の前後関係に従いました。)
起業家モーツァルトの楽譜販売
モーツァルトは、3つのピアノ協奏曲(第12番と11番、13番)の予約での楽譜販売を募りましたが、結果は芳しくありませんでした。通常、作曲家は出版社に著作権を売却しますが、モーツァルトは自身で予約者を募り、直接販売して利益の最大化を狙ったのです。
3つのピアノ協奏曲(第12番と11番、13番)は、管楽器を除いても演奏できるように作曲。ピアノと弦楽四重奏、つまりヴァイオリン×2、ヴィオラ×1、チェロ×1でも演奏できる構成にしました。モーツァルトは楽譜の予約販売を成功させようと、広く一般家庭でも購入してもらえるよう配慮したのです。
しかし、この予約販売は失敗に終わります。予約数に応じて楽譜を手書きで清書するという手間がかかったため、価格設定を高くせざるを得なかったことが原因でした。
ただ、予約楽譜販売は振るわなかったものの、2年後の1785年に楽譜が印刷出版された際にはよく売れたようです。楽譜販売のエピソードをみても、起業家としてのモーツァルトが試行錯誤を重ねながら道を模索していた姿が浮かびます。
ヨハン・クリスティアン・バッハへの追悼
ピアノ協奏曲第12番第2楽章には、恩師ヨハン・クリスティアン・バッハ(大バッハの末子)への追悼の意が込められています。第2楽章の主題に、ヨハン・クリスティアンのオペラ『心の磁石』序曲の旋律が引用されているのです。背景には、少年モーツァルトがロンドンでヨハン・クリスティアンと出会い、音楽家としての転機を迎えたという経緯があります。
少年時代、ヨーロッパ各地の宮廷を巡る旅でのヨハン・クリスティアンとの出会いは、モーツァルトにとって重要な意味を持ちました。ヨハン・クリスティアンはモーツァルト父子を温かく迎え入れ、協奏曲の書法など多くの知識を少年モーツァルトに伝えたからです。
1782年1月1日にヨハン・クリスティアンが他界した際、モーツァルトが父レオポルトに宛てた手紙からは、哀惜の念が伝わってきます。手紙には「音楽界にとってなんという損失でしょう」と記されており、その喪失感の大きさがうかがえます。
第2楽章でのヨハン・クリスティアンの曲の引用には、亡き恩師に対するモーツァルトの敬愛の情が表れているといえましょう。
作曲:1782年
編成:
ピアノ独奏
弦楽(バイオリン2部、ビオラ、バス)、オーボエ×2、ホルン×2
※管楽器を除いた「ピアノ+弦楽四重奏」でも演奏可能
»モーツァルト少年時代の音楽修業については、こちらの記事がおすすめです。

【ロンド K.386の解説】
作曲の目的
もともとロンド K.386は、ピアノ協奏曲12番の最終楽章として作曲されたと推測されています。第12番と作曲時期が近く、調性はイ長調、形式はロンド、テンポはアレグレットと共通点が多いためです。
しかし、チェロとコントラバスが別々のパートで書かれている点が疑問とされています。ピアノ協奏曲第12番では、家庭で弦楽四重奏でも演奏できるようにと、チェロとコントラバスを同一パートにまとめているからです。
このため、ロンド K.386は弦楽四重奏でも演奏可能な現在のピアノ協奏曲第12番第3楽章へと書き直したと考えられています。
»もうひとつのロンド、K.382についてはこちらの記事で解説しています。
自筆譜の紛失と歴史
ロンド イ長調 K.386は、自筆譜の散逸と再発見を繰り返しながら、150年近くの歳月をかけて復元された作品です。
ロンド K.386は初め、最終ページが欠落した状態で自筆譜が存在していました。
1838年にイギリスの作曲家兼ピアニストのチプリアーニ・ポッターが、自筆譜の欠落部分を補い、ピアノ独奏用に編曲。しかしその後、肝心の自筆譜は散逸してしまいます。
1936年、音楽学者のアルフレート・アインシュタインが、協奏曲への復元を試みます。現存するわずか2ページの自筆譜とポッターのピアノ独奏版を頼りに、作業は進められました。結果的には不完全ながら、モーツァルトが意図した「協奏曲の形」での楽譜出版が実現したのです。
1956年までの間には、イギリスで6枚の自筆譜が発見されます。(1〜78、118〜132、136〜171小節の部分)
1963年、それまでの経緯を踏まえながら、さらに見つかった1枚の自筆譜断片を元にして、より正確な新版が出版されます。補筆再構成を行ったのは、ピアニストのパウル・バドゥラ=スコダと指揮者チャールズ・マッケラスでした。
1980年には、長らく行方不明だった最終ページが大英博物館で見つかります。モーツァルトの弟子のジュスマイヤー(未完のレクイエムを補筆完成させたことで有名)の、残された手稿譜の中からの発見でした。
以上の経緯からわかるように、ロンド K.386は度重なる自筆譜の発見と補筆再構成の歴史そのものです。多くの先人たちによって、欠落していた「最後の1ページ」までが統合されたロンド K.386。
モーツァルトが当時書き上げたロンド K.386に近づけた、とても貴重な音楽的営みであり、遺産とも言えるのではないでしょうか。
作曲:1782年
編成:
ピアノ独奏
弦5部、オーボエ×2、ホルン×2
【各楽章を解説】

ピアノ協奏曲第12番
第1楽章 アレグロ
[速く]
明るく伸びやかな印象をもつ楽章で、いかにも当時のウィーンの聴衆を意識した音楽と言えます。陽だまりの降り注ぐ中を、おさなごたちが無邪気に遊ぶ情景が自然と浮かびます。
アレグロ楽章でありながら、あくせくしたところはなく、旋律は柔らかく流れます。軽やかさと歌心が自然に溶け合った、モーツァルトらしい始まりの第1楽章です。
第2楽章 アンダンテ
[歩くような速さで]
そっと羽毛に触れているときのような、やさしい肌触りに満ちた楽章です。解説の項でも書きましたが、音楽家ヨハン・クリスティアン・バッハのオペラ『心の磁石』序曲の旋律が引用されている点も印象的。
作曲の途中、少年時代の師とも言えるヨハン・クリスティアンが急逝したことを受け、その面影を偲ぶような響きが漂います。穏やかで情緒的な時間と言えるでしょう。
第3楽章 ロンド:アレグレット
[やや速く]
快活で親しみやすいロンド楽章で、全曲を明るく締めくくります。主題は覚えやすく、繰り返されるたびに表情を変えながら、自然な高揚感を生み出します。
技巧は控えめで、聴き手との距離が近い点も特徴です。軽妙さの中に品の良さが保たれており、楽曲の終わりにふさわしい、晴れやかな余韻を残します。
ロンド K.386
[アレグレット:やや速く]
華やかでありながら、しっとりとした情緒をそなえた名曲です。先を急ぐことのない落ち着いたテンポで軽やかにロンドが展開し、メインテーマ「A」が奏でられる合間に、3つのエピソード「B」「C」「D」が鮮やかに挿入されます。
独自の色彩を持つ各パートが、緻密な構築性と深い芸術性を見事に融合させています。聴くたびに新たな発見のある、柔らかい光とかすかな影のコントラストの美しい1曲です。
【名盤3選の感想と解説】

アルフレッド・ブレンデル:ピアノ|ネヴィル・マリナー:指揮|アカデミー室内管弦楽団
管弦楽版
室内楽版
【名盤の解説】
ブレンデルは、指揮者マリナーとのモーツァルトピアノ協奏曲第12番録音を行い、チャールズ・マッケラスとも録音しています。(マッケラスは、K.386の1963年時の楽譜出版を行いました)ピアノと弦楽四重奏版もアルバン・ベルク四重奏団と組み、録音を残しています。
気品あふれるマリナーとの共演では、しっかりとした構築美と説得力の中から、弾け出る輝きを発するブレンデルのピアノ。マッケラスとの演奏でも、引き締まった中に透明度の高いモーツァルトを堪能できるのが魅力です。
アルバン・ベルク四重奏団との室内楽演奏でも、遊ぶように楽しむ雰囲気が随所に感じられて好感が持てます。
ブレンデルのモーツァルトは、オーケストラやアンサンブルごとに異なる表情を見せながらも、一貫して高い気品と音楽を楽しむ心に満ち溢れています。
マリア・ジョアン・ピリス:ピアノ|アルミン・ジョルダン:指揮|ローザンヌ室内管弦楽団
ピリスの奏でるモーツァルトは、素朴な愛らしさと、内側から溢れ出す華やかさが、バランスよく調和している点にあります。
女性ピアニストのモーツァルトには、力技だけでは測れない繊細なきらめきがあります。
イングリット・ヘブラーが、淡々と紡ぐ指先から愛らしさがあふれるならば、内田光子は、内側から明るい華やかさが放たれる点に大きな魅力があります。
それぞれのモーツァルトが、それぞれの魅力を放っていると感じます。
まさに三者三様とも言えますが、ピリスの演奏は、純粋さと明るさが溶け合うモーツァルトを鮮やかに描き出しています。ピアノ協奏曲第12番にも、とてもふさわしいと感じます。
ジョス・ファン・インマゼール:フォルテピアノ&指揮|アニマ・エテルナ
インマゼールによるフォルテピアノでの弾き振りは、余韻が少なく、現れては消える一粒一粒の音を慈しむように奏でられます。
ヨハン・クリスティアン・バッハへの追悼の意が込められた第2楽章。発せられた音がすぐに、ふと消えゆくその独特の響きからは、人の命の儚さやさみしさを感じさせるものがあります。
楽器群の残響の物足りなさなどはあるかもしれません。しかし、数ある古楽器録音の中でも、インマゼールの演奏はモーツァルト当時の響きにかなり近いのではないでしょうか。
「音の消え際」に宿る美学を感じさせる中に、無邪気なピアノ協奏曲が展開していく。現代の私たちに、ある種の新鮮な感動を届けてくれる名盤です。
【まとめ】

ピアノ協奏曲第12番は、モーツァルトの独立心と恩師への愛、そして聴衆へのサービス精神が凝縮された1曲です。
家庭での演奏にも配慮した構成は、起業家としての一面ものぞかせます。150年の時を経て復元された「ロンド K.386」と共に聴くことで、モーツァルトが当時抱いた自由な創造の源泉をより深く感じられるはずです。
時代を超えて愛されるこの温かな響きを、ぜひ堪能してみてくださいね。
そんなわけで…
『ひとつの曲で、
たくさんな楽しみが満喫できる。
それが、クラシック音楽の醍醐味ですよね』
今回は、以上になります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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